スパイク・リー監督“25時”

スパイク・リー監督“25時”スマトラ沖地震の悲惨な被害状況が日々取り沙汰されている。現地の人々にとって、被害は今だけの問題ではない。記憶の中の出来事になるにはかなりの時間がかかると思う。外野のぼくは半年後、彼の地の状況に興味を持っている自信がない。

スパイク・リー監督の“25時”の中に、忘れかけていた光景を見た。9.11。俗に言うグランド・ゼロ。

スパイク・リーという人はメッセージ性を武器に成功してきた監督だろうと思う。初期の頃は主に人種差別について。デンゼル・ワシントン主演“マルコムX”の名前を挙げればわかり易い。

軽薄なぼくは社会派が表に立ち過ぎると二の足を踏む。“25時”は主演のエドワード・ノートンが観たくて借りた。彼は“アメリカン・ヒストリーX”以来、ちょっと気になる俳優のひとりだ。一般的には“ファイト・クラブ”の人と言った方が通りがいいかもしれない。

麻薬売買で7年の服役が決まった男が収監前の1日をどう過ごすか。

実はこのストーリーの中には何もない。大きな事件も山場もどんでん返しも何も。けれど、この映画の中にはやっぱり何かがある。どこにあるのか。登場する全てのキャラクターの中に、そして9.11後のNYという舞台そのものの中にそれはあるのだろうと思う。

様々な形の愛情、絆、ありふれた葛藤…。

こう書くととても陳腐だけれど、この映画の中で描かれるそれらには嘘が感じられない。だから、当然一筋縄ではいかない。そして、全ての役者と演出の素晴らしさがあのラストシーンを納得させてしまう。

佳作だと思う。

忘れっぽいぼくは、この先この映画とともに2001年9月11日の出来事を思い出すのかもしれない。

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