ヴィンセント・ギャロ監督“ブラウン・バニー”

ヴィンセント・ギャロ監督“ブラウン・バニー”ヴィンセント・ギャロが好きな人は、彼のどこが好きなんだろうか。色々な仕事をそれなりにハイレベルにこなすマルチな器用さだろうか。あの独特の容姿だろうか。いじめられっ子のような憐れみを感じさせるナイーヴな雰囲気だろうか。

ギャロ2作目の長編映画“ブラウン・バニー”を観た。

宣伝文句に書かれているような「衝撃」はなかった。あのくらいのラストで物議を醸したというような言い方は作品に対する間違った期待を生んで逆効果じゃないかとすら思う。この映画は衝撃のラストシーンだとか、究極のラブシーンだとかを期待して観るものではないと思う。

ロード・ムービー的、あるいは詩的と言ってもいいかもしれないその映像は、例えばプライベートビデオのような一種の生々しさを持っている。そのリアルな肌触りが、ラブシーンにおける賞賛や嫌悪を引き出したということはあるかもしれない。それは作り手にとってひとつの挑戦だっただろうし、成功しているとも思う。ただ、そこに描かれる物語や愛の形は、本当にごくありふれたものでしかない。

ギャロの処女長編“バッファロー’66”との類似については言うまでもないかもしれない。観れば一目瞭然、同じ人が作ったものだと誰もが納得するはず。それはもう彼のスタイルなのだと思う。

それにしても、ヴィンセント・ギャロほど情けない男の役がハマる役者はいないとつくづく思う。前作のビリーも、今作のバドも本当に情けなくも愛すべき男たちだ。彼の映画の本当の見所は、実はこの情けなさだとぼくは思う。あとは感傷的な雰囲気に浸るか寝るかのどちらかだろう。

最後に老婆心ながら忠告をひとつ。

これをオシャレ映画だと思ってカップルで観るようなマネはしないように。特に付き合い始めて日の浅い二人や、これからどうにかという二人には全く不向きなので。

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