細田守監督アニメ“時をかける少女”

movies080506.jpgこの“時をかける少女”は、たぶん、SFではない。

ただ、SFでないことが瑕かと訊かれれば、Noと応えるに吝かではない。これは徹頭徹尾、よくあるけれどよくできた青春物語だと思うからだ。アニメファンを喜ばせるような萌え要素も薄く、男の幻想を満足させるような少女性もない。そんな主人公が活きている。思慮が浅く、思いやりも足りず、自分本位な自分にイマイチ無自覚な、なのにどこか憎めない女子高校生。イケメンふたりに囲まれて、タラタラと贅沢なモラトリアムを満喫するという、不公平な世の中を象徴するような幸せな青春が描かれる。そこにホロ苦いオチまでつくのだから完璧といっていい。

こういう青春を送りたい。こういう切ない恋愛がしたい。あるいは、したかった。そんな恥ずかしくも甘酸っぱい気持ちを思い出させてくれるという意味で、この作品は非の打ち所がない。貞本原画のクセを薄めたような作画も、アニメ声の対極ともいえる声優陣もここではプラスに働いているとぼくは思う。主題歌以外、アニメオタクを喜ばせるような要素はほとんどない。実写でやればよかったんじゃないかとさえ思う。もちろん、アニメーションとしてクオリティが低いといっているのではない。アングルと動きで見せる陰なし作画なんて感動的ですらある。

ただ、SFや原作のテイストを期待する向きには、ずいぶんと食い足りない作品だろうとも思う。そもそもタイムリープがよくわからない。納得のいく説明がないし、描かれるタイムリープには盛大に疑問符が付く。この作品では平行世界が想定されていない。過去の自分に今の記憶を持ったまま戻る。つまり、戻った先に過去の自分がいるというタイプの時間遡行ではない。例えば、傑作SF『リプレイ』に近いやり直しモノである。ただ、種明かしの説明を聞く限り、戻る時期はある程度制御できるらしい。そして、やり直す前の現在はなかったことになる。

ここで疑問が生まれる。これだと、未来人がそのままの姿で過去に戻ることはできない。ならば、あの未来人は元々高校生として存在したはずだということになる。素直に作品を見る限り、そんな風には思えない。キャラクター設定的にも、彼が生まれるずっと以前の過去に戻ってきたような印象を受ける。だとしたら、主人公のタイプリープとは別物になってしまう。困った。また、未来に帰るという行為にも疑問が残る。繰り返すけれど、タイムリープで過去に戻ると戻る前の現在はなかったことになるのである。ならば、彼が帰る未来というのはどこにあるのか。

そして、最大の疑問は、あのタイムリープが誰でも使用可能な未来の技術だという点だ。例えば、イケメンの千昭が真琴にコクり、真琴はあたふたした挙句過去に戻り、その告白をなかったことにしてしまう。ここでもし真琴以外の誰かが、それよりも前の時間に戻ったらどうなるか。真琴はそもそもコクられた未来を経験していないし、そのためにタイムリープしたという事実も消えてしまう。つまり、複数の人間が思い思いにタイムリープしたところで、一番古い過去に戻った誰かの時間に集約されてしまうだけで、それ以外のタイムリープは全部無意味なのである。

…とまあ、この作品のSF部分については色々と疑問点が多い。記憶の問題ひとつ取っても、ラストの種明かしに向う大切なシーンで思い切った矛盾がある。そのとき真琴にとってはなくなったはずの未来の記憶を、何故か彼女は持っている。理屈を超えた意図的な演出なのかもしれないけれど、ここまで設定が曖昧だと単にそこまで考えていなかっただけかと思われてもしようがない。だから、これをSFとして薦めることはとてもできない。青春物語の顔をしたSFをご所望なら新城カズマの『サマー/タイム/トラベラー』あたりを読む方がずっと面白いと思う。

だからこれはSFの傑作ではないけれど、青春アニメの良作であることに疑いはない。

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